マヤの織物メキシコ南部からグアテマラにかけては,マヤ文明が栄えた地域です。マヤ文明は壮麗なピラミッド,正確な暦,歴史や儀式を記録した神聖文字,洗練された彫刻や土器など,すばらしい遺産を残して歴史の中に消えました。マヤにおける機織りの始源は明らかではありませんが,マヤ後古典期(900年〜1500年)の絵文字(コデックス)には,イシチェルと呼ばれる機織女神が描かれています。このことからも,マヤでは古くから腰機の伝統が継承されていたことは明らかです。
マヤ地域に点在する100余の村々は,それぞれに独自の衣装儀式,基調色,織模様を持つ伝統的な民族衣装を身に着けて生活を営んでいます。村を訪ねてまず目を引くのは,原色をふんだんに使った織物の民族衣装です。華やかで特徴的な縫取織模様の施されたウィピルと呼ばれる女性用の貫頭衣(ブラウス)は,そのほとんどが伝統的な腰機で織られています。インディへナの村を歩いてみると,女性たちが村の木陰や家の軒先で腰機を使って自分たちの着る伝統的な民族衣装を織っている光景を日常的に見ることが出来ます。
経糸と緯糸を組み合わせて布を織る仕掛けを織機と呼び,織機を使って織った布を織物といいます。マヤ地域で民族衣装に関係する織物の生産にもちいられている手織機は,腰機と高機です。
腰機とは,織機に掛けられた経糸を保持するための腰帯または腰当を備えた手織機の総称で,織物を織るための最も古い形式の手織機のひとつです。腰機は、アジア全域,中南米に及ぶ環太平洋の地域に広く分布しています。日本では,原始機,弥生機,いざり機,地機,などの様々な名称で呼ばれています。英語の Back strap loom の和訳として後帯機という名称も使われています。
マヤでは,民族衣装に関係する織物の生産に最も一般的にもちいれらている手織機は,腰機である。織る布の種類や幅によって様々な大きさ,長さの腰機が使われています。マヤの腰機の構成具は、すべて手近にある材料で簡単に作ることが出来るので,織物の自給生産手段として,誰でも機を個人所有することが出来ました。またマヤの腰機は,織り途中でも経糸を巻き取れば,簡単に収納して,持ち込んだり出来ます。グアテマラでは腰機を Telar de palo (棒の機)と呼んでいます。
腰機で織られる織物の基本組織は平織です。綾織,綟織は,一部の地域でしか製織されていません。両者は,その整経法,腰機の構造,織技法からみて共に平織から派生した変化組織であると考えられます。
紋様織は,そのほとんどが地組織に絵緯糸(模様糸)で紋様を織りだす縫取織で占められています。そのほかには縞、絣、綴、捩,経糸浮紋織などがあります。捩織,経糸浮紋織は,製織地域が限られていて生産量も少ないが,捩綜絖の取り付けや細刀杼の操作による織紋様は高度な織技法の習熟がみられ,多彩な縫取織技法と共にこの地域の紋様織技法の多様性を窺い知ることができます。
織物を織る工程の途中で,緯糸とは別の模様糸が布の表面に浮き出て紋様が織り出されるので,刺繍(縫取)模様のように見えるところから縫取織とも呼ばれています。縫取織には、紋様を織り出すのに必要な経糸を指先,織針,細篦などで任意にすくって絵緯糸を挿入する方法と、経糸に紋様綜絖または紋様経補助開口棒をとりつけて織幅全体に等間隔に紋様に関係する経糸を分解開口し,絵緯糸を挿入して縫取織紋様を織り出す方法があります。経糸の選択や絵緯糸の挿入操作がほとんど手作業で行われるため様々な縫取織技法があります。紋様の表れ方により、片面縫取織,片面両側縫取織,両面縫取織の3種類があります。
・片面縫取織は,絵緯糸を織物の表面にだけ挿入して,紋様を織物の表面にだけ織り出す。紋様に関係しない絵緯糸は,緯糸とともに織物に織りこまれるので裏側には出ない。
・片面両側縫取織は,紋様を構成する絵緯糸を織物の表面から裏側に通すように挿入して,織物の表面に縫取織紋様を織り出す。紋様に関係しない絵緯糸は織物の裏側に出ている。
・両面縫取織は,等間隔に選択された経糸に絵緯糸を模様毎に打ち返すように入れて織物の表裏両面に綴織のように同じ紋様を織り出す。